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思い出の木

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大学構内を歩いていたら、アカナラ(Quercus rubra)の枯れ葉とドングリがころころ。

雪解けの頃は、秋から春にかけて地上に落ちた遺物が現れる季節。
去年の秋に落ちた葉と、芽を出し始めたドングリが一緒に顔を出します。

アカナラは北米原産のドングリの木で、日本では時々街路樹などとして植えられています。北海道の野山で見られる野生のドングリは大半がミズナラで、海岸や火山灰地(勇払など)ではカシワが、石狩低地帯や道南の一部などではコナラが少し見られます。ミズナラはずっしり、コナラは細長く滑らか、といったように、種類によってドングリの形が違うので、周りに落ちている葉とセットで覚えると親しみやすいです。

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上を見上げると、空高く伸びた大木が。
ゴツゴツとした雰囲気の日本のナラ類とは趣が違い、まっすぐ空に向かって、まるでポプラのような樹形をしています。


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樹皮は滑らか。
ナラの仲間はコルク質が発達して深くひび割れることが多いですが、アカナラは一見してナラとは思えないほどなめらかな質感の樹皮をしています。所々に、刃物で切ったように横向きの線が入るのはなぜだろう?


ところで、北海道で見られるドングリはミズナラなどが多いと書きましたが、自分が初めて手にしたドングリは、今に思えばアカナラだったような気がします。

生まれ育ったのが札幌の住宅街だったので、家の近所にドングリの木は殆どありませんでした。そんな中でも唯一ドングリ拾いを出来たのが、近所の公園に植えてあった、それほど大きくないドングリの木でした。平たく硬い帽子が特徴の大きなドングリでしたが、他にドングリを見たことがほとんど無かった当時の自分にとっては、それが普通だと思っていました。

そのドングリが、一般的なドングリでないことに気付いたのは、今住んでいる家に引っ越した後の事でした。近所に雑木林があちこちにあるので、天然のドングリが普通に拾えるのですが、それまで見慣れたドングリよりも小さくて色が濃く、何となく形もいびつ、帽子も深くて薄っぺらいものでした。このあたりの山に生えている野生ドングリの木は、大抵ミズナラだということは知識として知っていたので、この見慣れないドングリがミズナラのものであることはすぐに分かりました。

それじゃあ、今まで見慣れてきたドングリは何だったんだ?という疑問が頭をよぎります。その疑問は、つい最近まで謎のままでした。


疑問が解決したきっかけは去年の秋、幼い頃に通っていた、あの公園に立ち寄った事でした。公園に行きたくて出掛けた訳ではなくて、当時から通っていた近所の花屋さんまで電車で買い物に行き、そのついでに寄ったわけですが。

あの頃、ドングリ拾いをしていた場所に着いてみると、そこには当時と変わらず枝葉を茂らせたドングリの木が2本立っていました。木の大きさが思ったほど変わっていなかったのは、自分が大きくなったと同時に、木も成長したからでしょう。たかが10年位とはいえ、あれほど時間の流れをしみじみ感じる事になろうとは思いませんでしたねぇ…。

疑問を確かめるべく、下がった枝に手を伸ばしてみると、その葉の形はアカナラのものでした。10年来の疑問が、一瞬であっさりと解決してしまいました(笑)

同じものを見ているのに、この新鮮な感じは何だろう!と。嬉しかったです。
自然や生き物を知るきっかけになった場所や生き物は沢山ありますが、何の予備知識も無く、ただ見たり触れたりしたときに感じた事と、そのあと経験や勉強を多少重ねてから改めて同じものを見たときでは、同じ対象なのに見え方が全く違います。今まで単なる趣味でしかなかったこれらの事が、大学院に進んでから「研究対象」として真剣に見る様になり、随分と物の見方が変わった気がします。

それは、新鮮なのに懐かしい、不思議で楽しい感覚です。
今まで珍しい事だと思っていたものが、世間ではありふれた事だったり、当たり前に見てきたものが、じつはとても貴重だったり特殊だったりすることも、たくさんあります。

アカナラに限ったことではないですが、そんな体験をこれからも続けていけたらいいな。

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